Pass京都編のこと
この家と暮らしが手狭になった。"Pass"ができたころから、それが明確になった。この暮らし、と言っているのは、今の山小屋の暮らしで、3年前の今頃は丼ぶりに蕎麦を盛って、畳に直接置いて食べていた。それくらい、モノが無かった。玲ちゃんは、新宿から時々遊びに来ていた。
この家と暮らしが手狭になった。"Pass"ができたころから、それが明確になった。この暮らし、と言っているのは、今の山小屋の暮らしで、3年前の今頃は丼ぶりに蕎麦を盛って、畳に直接置いて食べていた。それくらい、モノが無かった。玲ちゃんは、新宿から時々遊びに来ていた。
新幹線で名古屋に向かった。また新幹線を使ってしまった。ブラジルコーヒーで夕方にリハがある。新幹線の中で、公衆電話からの着信。先に着いたからと、ショーキー。ショーキーは昔から携帯をもたない。
日ノ出町の駅を出て少し歩いて、大岡川のほとりで水中をのぞき込んでいる。日の光を受けながら、良型のチヌとか、ボラの群れが、悠々と泳いでいて、暖冬の幕開けに相応しい。そこで、メンバーと連絡を取りながら、携帯に詩を打った。いい日和だからか、ガザで子供が死んでいるからか、時が時として、そのまま、流れてしまっていることが口惜しい。
せかいの裏側にいるような、うしろめたさよ
自分の言葉が少しずつ奪われているように感じる。言葉を奪われて苦しいと思っている人、退屈しているひと、が、本当はいるように感じることがある。
の中に頭を半分突っ込んだような形で、電車が緊急停車した。どうやら、一本先に走っていた電車が先の駅で人身事故を起こした。座席が半分埋まった自分のいる車両では、一時間くらいのあいだ、人々が閉じ込められた。アナウンスは陳謝し、乗客はうなだれている。蒸し暑い、旅の終わりで、鳥取からバスや新幹線を乗り継いで、横須賀まであとちょっとのところだった。ようやく最後尾のドアが開いて、夜の線路の上を乗客が一列になって歩き始めた。ゆっくり、無言で歩く人たちは、なんだか小さな罪を分け与えられたみたいだった。終電も終わって、みんな帰る手段がない。罪と同時に、試練も分け与えられたのか。
東京では中高を過ごして、酎ハイを飲んで友人と有栖川公園の池に飛び込むくらいがせいぜいの発散だった。なんだか、「ハテナ「?」」が多かった。スケボーはやっても乗れないといえばそうだし、あまり練習しなかった。でもこうして20代を終えてから関東に戻ってきて見回すと、魅力的な人が、点が線なかんじで、ほんとうは、いっぱいいる。気づいたら、みんな一生懸命やっている。そこが、すごくいい。横顔がいい人。そんなこと言ったらあさはかだけど、そんな風景が、本当に、高速で連鎖している。
これはきっと綺麗なものでしょう。何でも曇りなく伝達してしまう、つやつやで透明の粒子たち。この空気が、まちゆく人々の体を包み込んでいる。織物と織物のスキマに空気の層ができて、その中に熱がこもっては、ぽぽぽっと放出される。
開け放った鉄扉の奥に、暗闇があって、街灯がうっすら差し込んで 、中にいる数人をぼんやり照らしている。その人たちの目の前には、大きな絵。でも見えない。真っ暗なので、姿がない絵。そういうものを、見に来た。潮の匂いがした。なんかいい匂い、と思って身を任せた。自分だけが、この絵が血で描かれたことを知らなかった。このことをその辺の小説みたいに書くことを今やめた。