アーリーステイジ

2023年01月11日

東京では中高を過ごして、酎ハイを飲んで友人と有栖川公園の池に飛び込むくらいがせいぜいの発散だった。なんだか、「ハテナ「?」」が多かった。スケボーはやっても乗れないといえばそうだし、あまり練習しなかった。でもこうして20代を終えてから関東に戻ってきて見回すと、魅力的な人が、点が線なかんじで、ほんとうは、いっぱいいる。気づいたら、みんな一生懸命やっている。そこが、すごくいい。横顔がいい人。そんなこと言ったらあさはかだけど、そんな風景が、本当に、高速で連鎖している。

横須賀から見る東京は、埼玉から一時間半かけて電車で通学した十代のころの感覚と似ていて、おちつく。結局、生ごみを、燃えるゴミで出さないといけないのがムリになって、それもあって、用賀のアパートを引き払って、最終てきに横須賀の山小屋に来てしまった。そもそも庭に捨てても誰にも苦情を言われないような、山小屋のコンポストは、今は一応、行儀よく、どんどん生ごみを分解している。はじまりは、いつも、いっこの動物としての、性。サガ。

毎月東京で自分のイベントをやることになった。と言うと人事のようだけど。自分で、しっかり決めた。ピアノの上にノートパソコンを置いて、黒鍵のうえにグラグラした状態でタイピングすることも、三十分前に自分で決めた。今日は書かなければいけない日だ。

百姓になりたいと思った時があった。それは、ていの良いヒッピーみたいな気持ちで。でも今ならわかる、ほんとうは百姓というのは、百の姓、つまり百の仕事を持っている人たちのことだった。本当は、自分でコンバインも直さなきゃいけないし、伝票も打って、インスタもきれいにして、講演会もして、マルシェで軽トラの野菜を売った帰りに村の寄合でお酒を飲んで、両親嫁子供を寝かしつけて、詩作をして、タバコを吸い、鎌を研ぐ人のことだった。そうと分かった時に、自分の頭に陸のカモメが飛んだ。なんだかうまくいかないと思った瞬間や出来事が、気持ちのいい感じで記憶を駆け巡った。例えば、赤ん坊を連れて鎌倉で一番のおしゃれなカフェに本場のボサノヴァを聴きに行ったのに、赤ん坊のいるせいでやんわり帰されたときの事。泥酔してバンドの終演後にギターを蹴って倒れたとき。みんな楽しいはずのお祭りでゾーンに入って誰ともしゃべれなくなったときの事。幼稚園の時に、ぼくはみんなみたいにサッカーなんてやりたくない!てマイクで言って全校集会がシーンとしたときの事。なんだこれは!。なにがおかしいんだろう。なにかがおかしいんでしょう。九割の人が、おまえそれはちょっとねっ、て言うんだろうな。全部じぶんでやんなきゃダメなんだ。みんなで守ってるビジョンがあるんだから。それでだめなら自分でやりなよね。ミュージシャンて要するに誰にも頭下げないヤツだよなあ、ってだれかがベロベロで言ってた。でも本当はそのひと、すごく社会人スキル高い人だったって後から知人に聞いた。その逆説が面白かった。哲夫君もっと自由にやりたいんでしょ、ってだれかに言われた。いつも耳がいたい。でも本当にそのとおりだ。

この街をもっと見てみたい。なるべく、意外な言葉、キツイ言葉、うれしい言葉をくれるあいつらとな!

人生最大の駄文になりました。
近頃、また、音楽を聴いている。

ものをつくるのに、恐れはいらないんだっていうようなCDとかレコードがテーブルに並んだ。最近本当はもっと聴いている。オフノートで爆買いをした後に、まだ続きがありそう。

気づいたのだけど、めぬけ、という得体のしれないジーンがあって、その感じを不思議とまとっている。

みなさま、イベントを、興味本位でも、ぜひのぞいてみてください。

自分の音楽も、どんどん進化しますように。

あいつのアレも。

imanari tetsuo

 
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