Pass京都編のこと

2024年04月10日
白目のレコ発京都が終わってそのまま深夜のラーメン行ってBARろくでなしに流れ着き極限状態のままホテルに行き新幹線に運ばれて横須賀に帰りつくも、翌日から仕事続きで引っ越しの準備も進まない。3日しか無いのにまだ何も荷造りしていない。ライブは終始圧倒的なエネルギーが霧のように包んでいて、あっという間に“星たちへ”の演奏に辿り着いてしまった。ステージに乗せられて、ゴロゴロとノドを鳴らしたかと思うと、終ってしまった。贅沢な時間だった。


この家と暮らしが手狭になった。"Pass"ができたころから、それが明確になった。この暮らし、と言っているのは、今の山小屋の暮らしで、3年前の今頃は丼ぶりに蕎麦を盛って、畳に直接置いて食べていた。それくらい、モノが無かった。玲ちゃんは、新宿から時々遊びに来ていた。

 

スズメンバは、京都に住んでいた頃から雲の上、地中のの存在で、街が鳴る、というか、その音に左京区での生活を重ねたからかもしれない。ミナミという喫茶店をやってたときも、朝から、晩まで、スズメンバをかけたりしていた。ほんちゃんは、音楽を始めた頃は、自分が聴くための音を自宅で作っていたと言っていた。それが、いつか、変わったと。2024年に、京都で会ったスズメンバの質感は、懐かしくもあったし、またその先もあった。


3ヶ月くらい前に、よっさんという悪い友達から連絡があり、この記事ええで、と、それはムーズムズの小西くんの日記で、オクノ修さんが拾得でワンマンライブをしたことを書いていた。小西くんは、拾得の楽屋で、ギター持ちとして、修さんを支えた。修さんは、体と戦いながら、ワンマンライブを成功させた。小西くんの文体と、目線は鋭く、ライブにいなかった自分も現場に引きずり出されたような不思議な気持ちになった。そんな事があったから、ライブの前の数日は、修さんを聴いていた。うたは、心の城か。ランベルマイユには、多分、まだ行ったことがない。

 

この家にも色んな人がきた。もっと人を呼べる家に、とりあえず移り住んでみようと思う。
imanari tetsuo

 
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